奨学生の西の空新聞配達をしながら家庭教師と添削 50年前の大学1年生のとき、ある中学3年生を、2年の3学期に通信簿が「1」だった英語を、2学期には「5」にした家庭教師の体験を書いてみよう。 1972年4月に読売新聞育英奨学生となって新聞配達を始め、大学生活とのリズムも分かり始めてきた頃、たぶん、最初の集金のときだったかもしれない。ある読者に、こう話しかけられた。 「読売さんは、米英ですか」 2023.06.15赤井田 拓弥奨学生の西の空赤井田のつぶやき