西瓜で思い出すこと。

一昨年、去年と、西瓜の収穫に失敗した。たぶん過肥料が原因だったかも。

今年はなんとかうまく行き、15個ほど収穫できた。近所の人に差し上げたりして消化している。
西瓜で思い出すことがある。

確か小学校4年生くらいのときだった。父が「売ってきてみなさい」と私に重い西瓜を1個渡した。
私の頭には、買ってくれるかもしれない人がすぐに浮かんだ。

その人は、我が家から1キロほど離れたところにある「飯場」(死語かな)に住んでいた中年の女性だった。

当時、屋久島の飛行場の拡張の工事が盛んで、そうした飯場に住んでいる人たちが多くいたのだった。
その女性は、我が家にかなり頻繁に来ていた。祖母や母と話し込み、帰りには花や野菜を持って帰るのだった。もちろんタダで。金を払っているのを見たことはない。

そうしたことに恩義を感じていて、私が西瓜を持っていくと買ってくれるだろうと思ったのだ。

真夏の炎天下、重い西瓜を抱えてその飯場に行った。
その女性はそこにいて、何人かのほかの人たちと話していた。
当然買ってくれるだろうと、西瓜を見せて値段を言った。
彼女は、むげに「要らない」と。いくら頼み込んでも「要らない」で終わってしまった。

帰りの道を1キロ歩くあいだ、悔しくて泣けて仕方がなかった。

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