初めにお断り。この内容は私の勝手な解釈です。文法学者に認められたわけではありません。
英語の受身形の文は、<主語+be動詞+過去分詞+by+行為主>だと学習します。
His son broke the window.
↓
The window was broken by his son.
のように、by のあとに行為主を続けますね。ですが、下の文のように <be動詞+過去分詞+with>など、by ではない前置詞が続くと習う文もあります。
The streets were covered with snow this morning.
ですが、このwith snow の snow は行為主ではありませんね。「材料・成分」を表す前置詞です。
by … が省略されている受身形でも、実際には下の文のように行為主があることは多いわけですよね。by people は省略されますが、people が行為主であることははっきりしています。
English is spoken in Canada (by people).
しかし、上の The street were covered …. の文では、行為主ははっきりしませんね。誰なのでしょう?
さて、こういった文の行為主をGod(神)だと考えてみたらどうでしょうか。生まれることや結婚のこと、また心の状態などはすべて神のなせる業だと考えると得心が行きます。
このほかにも、I’m tired. とか I was born in 1990. など、人生の節目を表す表現や心情を表す表現などでは、by … のない受動態が使われます。
こうした文の「tired やborn は形容詞だ」という意見もありますが、もともとは過去分詞ですね。
こうした受動態の動作主は「神」だと考えると分かりやすいのでは?
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