先週の大学学内新聞制作の続き。
現像機から出てきた印画紙は、薄く丸まっている。そして濡れている。まず、それを紐に吊るして乾かす。
次に、電熱で溶けた蝋が入った機械に印画紙を通すと、印画紙の裏面に薄く蝋が引かれる。蝋が塗られた印画紙を台紙に敷き、上に当て紙をして、専用のヘラでこすると下の台紙にぴったりと貼り付くのである。
私は高校時代に新聞部だったし、大学では新聞配達をして通学する「読売新聞育英奨学生」であった。そのとき、新聞本社にある育英奨学会で奨学生向けに新聞を出さないかという提案があり、私が高校時代に新聞部だったということから、『読売ジュニア』という月刊新聞の編集をやることになった。
そうした経験から、レイアウトなどには慣れていたので、私が率先してレイアウト・割り付けを行うようになっていったのである。
私がレイアウトや制作のほうに力を入れ始めたのには、もう1つ理由がある。
最初は reporter(記者)としての参加だったが、取材して記事を書いてもなかなか採用されなかったのである。毎週2点ほどの記事を書いて編集部に渡したのだが、結局、採用されて新聞に載った私の記事は3篇だけだった。
レイアウトや制作のほうを手伝っているうちに、「タクヤはレイアウトがうまいね」と褒められ、その気になって、レイアウトや割り付け作業のほうがメインになっていったという次第であった。
前回の記事に書いたように、月曜日と火曜日は記事の編集が主な作業に当てられたので、新聞の台紙に印画紙を張り付けていく作業は、水曜日に行った。
この作業は、私と編集長(Editor-in-Chief)の2人で行うことが多かった。最後の数か月は、毎週水曜日の夜は徹夜になることがたびたびだった。
水曜日の深夜、または木曜日の明け方に、私のアパートがある Indio という町の新聞社に持ちこむ。印刷が終わると、新聞社の人が大学まで届けてくれる。これが午前10時ごろであった。印刷は約2,000部だったと記憶している。
これを編集部室にいたスタッフが学内の新聞箱に入れて回るのである。
日本の大学でサークル活動をしていなかった私には、学内新聞の部室でいろいろな話をして新聞を作り上げていくのは、まさに学生生活を送っている感じで、とにかく充実していた。
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