今日6月21日は、父の命日である。1995年6月21日の朝、父は突然亡くなった。下は、父の若かりし頃の写真である。家には見覚えがないので、おそらく屋久島に移住する前に住んだ家であろう。
几帳面な人で、毎日日記(農業日誌)を付けていた。下の写真から分かるように、亡くなった朝もひとことだが、書いている。おそらく、この日記を付けて1時間後には旅立ったと思われる。
「昨日までの日の出は5時12分だったが、今日から5時13分と遅くなる」
そして、右のページに「幸丸」とあるのは、私の次兄である。亡くなる前の晩、次兄と父は40分ほど電話で話したそうだ。そのため、次の朝に「あなたのお父さんが亡くなった」という連絡をもらったとき、次兄は「誰の父」のことなのか、しばらく理解できなかったらしい。
当然だが、亡くなった後の22日以降は日記は途切れている。
父が亡くなった朝、私はまだ携帯電話を持っていなかったので、会社に着いてからスタッフに聞いた。「お父様が亡くなられたそうです」と。
喪服などは屋久島の友人に借りることにし、そのまま羽田に向かった。
鹿児島への飛行機は飛んだのだが、鹿児島から屋久島への飛行機は、大雨のため欠航だった。波が高いということで、船も欠航だった。
その日のうちに屋久島には帰れないということを伝えるために家に電話すると、我が家に詰めていた近所の人が出て、母が大変な錯乱状態だから、なんとしてでも帰って来いと言う。
離島は車で行けないから、こんなときに困る。
母と父は、亡くなるわずか1時間前にはいっしょに朝飯を食ったのだという。朝食の後トイレに行き、出てきて猫と戯れていて、そのまま逝ってしまったのである。
母も、父にそんな死なれ方をされてしまうと、それは取り乱してしまうだろう。
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