私が初めてエレベーターなるものに乗ったのは ...。

 あるとき、高校の同級生と飲んだとき、エレベーターに初めて乗ったときの話になった。

 私が初めてエレベーターに乗ったのは、なんと高校を卒業してからである。もちろん、それまでに屋久島を出たことは何度かあったが、エレベーターを利用したことがなかった。
 
 私が高校を出るまで、屋久島では3階建てのホテル(当時は国民宿舎)が最高だった。3階くらいでは、エレベーターなどは付いてない。3階建てが珍しいからと、小学生のとき母とバスに乗って見に行ったくらいだ。
 
 私が最初に屋久島を脱出したのは、母方の祖母の葬式のときだった。しかし、これは小学校に上がる前なので、ほとんど記憶にない。まずエレベーターなんぞには乗っていない。覚えているのは、母の実家の庭にボンタンがたわわに生っていたことだけである。
 
 次に屋久島を出たのは、小学校6年の修学旅行のときである。このときは、ふつうの平屋の旅館に泊まって、先生やガイドの人についてまわるだけだから、エレベーターには乗らない。
 
 その次が中学校2年の修学旅行のとき。このときは確か自由時間があって、鹿児島の山形屋というデパートに行ったが、乗ったのはエスカレーターだけだった。
 
 高校に入ってからは、修学旅行や部活動の遠征なども含めて何度か屋久島を出たが、エレベーターに乗った記憶はない。
 
 そして、高校を卒業する直前に、大学受験で小倉に行く。
 合格したら読売新聞社の育英奨学生として新聞配達をしながら通学することになっていたので、試験を受けたあと、まだ合格発表前だったが、新聞社にあいさつに行った。
 「受かったらお願いします」とあいさつに。
 
 読売新聞西部本社に着き、受付で「育英奨学会に行きたい」と言ったら、受付の妙齢の女性が「では、エレベーターで4階に行ってください」とエレベーターを指差した。
 
 読売新聞西部本社と言っても田舎の新聞社だからビル自体は高くない。確か5階建てくらいだったかと思う。そして受付ロビーも狭く、受付とエレベーターの距離もほとんど離れていない。
 入学後、新聞社にはひんぱんに行ったので、よく覚えている。
 
 エレベーターはドアが開いていて、それに乗り込んだがドアは閉まらない。ボタンの押し方もよく分からない。で、受付のほうを見たら、彼女がこちらを見て怪訝な顔をしている。私はとたんに恥ずかしくなって、脱兎のごとくエレベーターから飛び出し、4階まで階段を駆け上がった。
 
 4階に行って担当者の人(20代後半くらいか)の人と話していると、「赤井田くん、昼飯は食ったか?」と聞くので「まだです」と答えると、「じゃ、行こう」とエレベーターに乗って1階の食堂に行った。

 これが我が人生初めてのエレベーター体験だった。

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