屋久島では、夏の果物の定番、パッションフルーツがそろそろ色づき、食べたり出荷したりという時期だろう。
パッションフルーツは、こんな果物である。種のまわりのゼラチンのようなところがすっぱくて甘い。スプーンですくって種ごと食べたり、ヨーグルトなどに混ぜて食べたりするとうまい。
私が子どものころ屋久島では、どの家 (島の北東部の長峰集落のことだが) にもパッションフルーツが植えてあって、夏になると、あの鮮やかな花と甘酸っぱい果物が楽しめた。ちなみに、子どものころは (今でも私はそうだが)、あのフルーツを 「時計草」 と呼んでいた。
最盛期になると私たちは喰うのにも飽きてきて、と言うか、喰いきれないほど採れるので、兄たちとパッションフルーツでバッティングの遊びをした。パッションフルーツを投げて、それをバット (木切れのことだが) で打つ。すると、割れて中の種と果汁が飛び散り、体じゅうがべとべとになる。
曲がった木切れで楕円形のパッションフルーツを打つわけだから、なかなか芯でとらえるのは大変である。イチローをしのぐほどの私のバッティングセンスは、こうして培われたのかもしれない。
シャツを着てこれをやると、当然、親に叱られるわけで、だから、下は海水パンツ、上は裸である。ひとしきりこれをやって体じゅうがべとべとになると、そのまま近くの川に行って泳ぐ。
東京に出てきて驚く
ところで、あの 「時計草」 をパッションフルーツと呼ぶということを私が知ったのは、東京に出てきてからである。新宿の伊勢丹デパートのフルーツ売り場で、時計草によく似た果物 (と言うかそのものなのだが) が「パッションフルーツ」として売られ、しかも、それが1個300円とあった。
1976年(昭和51年)のことである。
屋久島ではどの家にもあり、喰いきれないほど採れ、木切れで打ってぐちゃぐちゃにしていた時計草が1個300円もするはずがない。そのパッションフルーツが 「時計草」 だとはとても思えなかったが、どう見ても 「時計草」 にしか見えなかったので、意を決して1個だけ買って帰った。
喰ってみると、まさに 「パッションフルーツ」 とは 「時計草」 のことだったのである。
今ではパッションフルーツは人気の果物で、高級デパートでは1個千円もしたりする。私なんかは、1日に50個も100個も木切れでつぶして遊んだが、なんとまぁ、高価な遊びだったことか。1日に5万も10万も費やして遊んでいたわけだ。
パッションの意味
ちなみに、パッションフルーツは夏の果物だし、パッションが 「情熱」 に理解されることが多いかと思うが、このパッション(passion) は 「受難」 という意味である。時計草の花が十字架に見え、キリストの受難を表していると考えられたためらしい。
パッションフルーツの花
このパッションフルーツは、その昔、屋久島で、その頃はまだ頭に毛があったガキに受難をこうむっていた。
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