大学を4年で休学し、その後アメリカのカリフォルニア州にある大学に留学した。そのいきさつや出来事を書いていく。
大学と奨学生での新聞店での業務をこなしながら、時は過ぎていった。
私が通った大学は、取得単位が少なくても出席日数が少なくても、1年から2年へは問題なく進級できる。2年から3年への進級に関門が設けられていた。単位数が足りなかったり必須科目を履修していなかったりすると、留年となるわけである。
「あのときは頑張って勉強したなぁ」と思える時期が、私には3度ある。それは、大学受験前の数か月とアメリカの大学でジャーナリズムの授業を受けたとき、そして、この大学の2年次から3年次に進級する後期試験前の約1か月半である。
育英奨学生の期間は「4年」と決まっていた。留年してしまうと、それ以降は自分で学費の都合をつけなければならないので、単位を落とすわけにはいかない。猛烈に勉強した。
辛うじて3年に進級できた。
3年に進んでゼミが始まり、私は無難で単位がもらいやすいという評判の教授のゼミを選んだ。級友たちの話を聞いていると、けっこうむずかしそうなゼミを取っていたり、また英検1級に合格する者も出てきたりで、私の学力が格段に劣っているのが明らかになってきた。
こうしたことから、1年か2年、アメリカ、それも南カリフォルニアに行きたいという気持ちが、どんどんとふくらんでいった。
「金はない。英語力もない。どうやったら留学が可能か」を模索し始めた。そして、就職を先延ばしにし、同級生たちが働いているときに、アメリカで過ごすことを、自分では「人生のモラトリアム」と呼んで、ひそかに楽しんでいた。
ある夜、友人の一人と飲みながら「人生のモラトリアム」について話した。私が卒業を1~2年延ばそうとしていることの意義についてである。
そのとき、友人は次のようなことを言っていた。
「オレはモラトリアムは損だと思う。就職が2年遅れると、当然、初任給や昇給も、人に遅れを取ったままが続くことになる。退職金や年金にも影響が出るのは必至。だから、オレは留年しないし、留学もしない」
私は、「確かに金銭的には不利だろうが、2年間の経験が、人生でのいろいろなつまずきの際に思い出され、彩りを与えてくれるのではないかと考えている」というような考えを友人に伝えた。